「フォードvsフェラーリ」は2019年に公開されたカーアクション映画だ。この映画は子供を対象としたアクション要素だけでなく、会社組織の内部事情や他社との交渉などの複雑な人間関係も描かれており純粋なアクション映画の枠に収まらない満足感がある。今回はそんな「フォードvsフェラーリ」の登場人物とあらすじ、メッセージを文系大学生が徹底考察していく。
あらすじ

キャロル・シェルビーは優秀なレーサーだったが心臓病のためレーサー引退を余儀なくされてしまい、引退後は車の販売をしていた。一方、自動車整備工場を営みながら草レースに出場するケン・マイルズという男がいた。二人はとあるレースの会場で出会うが、些細なことがきっかけで喧嘩してしまう。そのレースではケンが優勝しシェルビーはケンに関心を寄せる。
その頃、フォード社は経営不振に悩んでいた。企業のイメージを刷新するべく過去5回のル・マン(レースの名前)で4回優勝し絶大な人気を誇るものの破産寸前のフェラーリ社を買収しようとする。しかしこの話は失敗し、フェラーリ社のフィアットへの売却交渉に利用される結果となった。フェラーリ社にメンツを傷つけられたフォード2世は、雪辱を晴らすべくル・マンでの優勝を目指し始める。
しかし、24時間の過酷なレースを優勝するには頑丈で速い車と優秀なレーサーが必要である。フォード2世から指示を受けたアイアコッカはシェルビーに速い車を作るように依頼し、シェルビーはケンにドライバーになるよう説得。こうして、シェルビーとケンの世界最速を目指した物語が始まる。
そもそも「ル・マン」とは?
作中に出てくる主要人物
Carroll Shelby (キャロル・シェルビー)
元カーレーサーで、心臓病により引退後はシェルビー・アメリカンを設立し、車の製造・販売を行う。
Ken Miles(ケン・マイルズ)
自動車整備工場を営む優秀なレーサー。妻モリーと息子ピーターと暮らしながら、シェルビーと共に世界最速を狙う。
Mollie Miles(モリー・マイルズ)
ケンの妻。経済的な不安を抱えつつも、常に夫を支え続ける。
Peter Miles(ピーター・マイルズ)
ケンとモリーの息子。父を誇りに思い、尊敬している。
Henry Ford Ⅱ(フォード2世)
フォード社の社長。フェラーリへの雪辱を晴らすため、ル・マンでの優勝を目指す。
Lee Iacocca(リー・アイアコッカ)
フォード社の副社長で、シェルビーに最速の車の開発を依頼する。
Leo Beebe(レオ・ビーブ)
フォード社の重役で、ケンを快く思っておらず彼の邪魔をする。
Enzo Ferrari(エンツォ・フェラーリ)
フェラーリ社の創設者で、レース界の絶対王者としてフォードに立ちはだかる。
「フォードvsフェラーリ」の見どころ

「フォードvsフェラーリ」には、開発途中のテスト走行や企業間の交渉、運転者目線の迫力あるレースシーンなど、男心をくすぐる数々の名シーンがある。中でも最大の見どころはシェルビーとの単騎優勝か、フォードの3車同時優勝かの選択権がケンに託される場面だ。
レース終盤でケンとシェルビーが圧倒的な速さを見せつける中、フォード2世からの評価を損ねたくないビーブはケンとシェルビーのペアを含めた3台のフォード車を同時に優勝させるように持ちかける。ケンが優勝するという結果は同じであっても、二つの勝利の意味するものは全く違ってくるのが面白いポイントなのである。
〈ケンが単騎で優勝した場合〉
ケンがセブリング、デイトナ、ル・マンの三つを同年に制した初めての男となる。
〈ケンが同時優勝した場合〉
フォード社としての偉業という側面が強くなり、また邪魔をし続けてきたビーブとも栄光を分かち合うことを意味する。
どちらを選んでも歴史に名を刻む中でこれまで邪魔をされ続けたケンが、何を思い、どの結末を選ぶのか。ぜひその瞬間を見届けてほしい。(以下、ネタバレを含む。)
ラストのケンの行動を徹底考察!
なぜケンは3台同時優勝を選んだのか?
結論から言うとケンは3台で同時にゴールすることを選択する。しかし、どのレースでも「勝ち」にこだわってきた彼の性格を考えるとこの結論は予想外だったと言える。なぜ彼はこのような決断を下したのだろうか。
ケンがその決断を下す前、車を走らせながら彼はポツリとこう呟く
お前らどこだ?
普段から軽口を叩き時には皮肉も交える彼の性格を踏まえれば、この言葉は次々と振り落としていったフェラーリや後方を走るフォード社への挑発とも取れる。しかしこの言葉はレース中に「7000rpm(1分間のエンジンの回転数)」を超える状況下で発せられた言葉だ。作中で「7000回転以上」の世界は以下のように繰り返し描写されている。
7000回転の世界。そこでは…全てが消えてゆく
マシンは重さを失い…消える。
そして 肉体だけが残り空間と時間を移動する。
7000回転の世界 その世界が…問いかける。重要な問いを
“お前は誰だ?”
もしケンの言葉が挑発だとしたら彼がその後にスピードを落とすとは考えづらく、また7000回転以上の車内での「お前は誰だ?」という問いにも繋がらない。
私は、この言葉はケンが「自分の居場所」を確認するためのきっかけではないかと考える。彼が口にした「お前ら」とは敵であるフェラーリのドライバーやフォード社のドライバーだけでなく、共に車を作り上げてきたシェルビー、彼を支え続けた妻のモリーや息子のピーター、さらにはレース出場の機会を与えたフォード2世やピットの整備士たちなど彼を取り巻くすべての人々を指しているのではないだろうか。
ケンはこれまで利己的に生きてきた。周りの反応を気にせずに思ったことは容赦なく発言する。だからこそ多くのチャンスも逃してきた。その例が冒頭の車の整備のシーンだ。客の自動車を整備した後に相手の運転スキルが足りないことを指摘し、また文句を言われても気にしない。その裏表のない言動が災いして1回目のル・マンへの出場も逃してしまう。彼が経営する自動車工場も差し押さえられてしまうことからも彼の人付き合いの苦手さが伺える。
それでも彼は、内心では変わりたいと思っていたはずだ。その根拠が序盤のモリーとの会話にある。
ケン 「俺は普通には生きられない。人付き合いも下手だ。」
モリー「そうね。」
ケン 「45にもなってかわれるか?レースで食ってくにはおそすぎる。」
モリー「戦争にいってたから。レースをやめたらダメになる。」
ケンは自分が人付き合いに不器用であること、レースを続けるには歳をとっていて家族を養うには周囲との関わり方を変える必要があることを理解していたのだ。しかしそれは45年間の自分の生き方を否定されるようにも感じ、変わることに抵抗があったのではないだろうか。だからこそ彼はモリーに背中を押してほしかった。しかしモリーはあえてその問いに明確な答えを出さない。長い間一緒に暮らしてきたからこそ得意なレースをやめて、無理してまで他人と関わるケンを見たくはなかったのだろう。
この「変わる必要があるのか?」という問いに対する答えが示されるのが、ル・マンでの決断の場面だ。
ケンはこのレースで多くの人々が自分を支えてくれたことに気づいたに違いない。シェルビーのような好意的な人間もいればビーブのように敵対的な存在もいた。しかしそのすべてが組み合わさり今の自分がある。良いことも悪いことも含め彼一人ではこの舞台に立つことはできなかった。その事実を理解したとき彼は自分のためだけに走り続けることが本当に正しいのかを考えたのだろう。そして仲間と喜びを分かち合うという決断に至ったのではないか。
3台が並んでゴールする様子を見てモリーも「よく頑張った」と呟く。最終的な順位はビーブたちの策略により2位に終わる。それでもケンがどこか満足げな表情を浮かべていたのは「勝敗」ではなく、自分が成りたかった自分に近づけたことへの充実感があったからだろう。レース後、敵であるはずのエンツォ・フェラーリと視線を交わし、互いに頷き合う場面がある。この場面にはケン自身がフェラーリに対して感謝の念を抱いた意味も込められているように思える。
そして、ケンとシェルビーが未来について語り合いながら、ル・マンの物語は幕を閉じる。
まとめ

今回は「フォードvsフェラーリ」のあらすじ・登場人物・見どころについて解説した。純粋なアクション映画というよりはかなり現実的な描写が多く、またメッセージ性の強い映画なので、悩みがある人や共感したい人におすすめの映画だ。思慮深く映画を楽しみたい人はぜひ見てみることをおすすめする。