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映画「海賊とよばれた男」を文系大学生が徹底考察!世界大戦を乗り越えた熱き創業者「国岡鐡造」を描いたビジネスマンなら誰しも共感必至な人間ドラマとは

「海賊とよばれた男」は百田尚樹の小説を原作として2016年に公開された歴史フィクション映画だ。岡田准一や綾瀬はるかなど大手俳優が出演しただけでなく、今や誰もが知る石油業界大手の出光興産の創業者・出光佐三をモデルとして描かれたことが話題を呼んだ。この映画は同業他社・戦争・大国と立ちはだかる困難を仲間と乗り越えていくだけのサクセスストーリーではない。微細な夫婦関係や部下を抱える鐡造の苦悩などビジネスマンなら共感必至な人間ドラマが随所に散りばめられている。今回は「海賊と呼ばれた男」の人間関係を文系大学生が時代背景とともに徹底考察する。

目次

あらすじ

 

1945年、戦争が終わった。日本は先の大戦で石油を使い果たしていたものの各地に点在する旧海軍タンクにはごく僅かに石油が残っていた。経済復興を目指す日本であったが、GHQによりそれらを使い果たさないと石油の輸入はできないと勧告されてしまう。しかしこの石油の汲み出し作業は旧海軍が匙を投げたほど過酷な重労働だった。結果として当時の国内の石油業界を支配していた石統(石油配給統制会社)は半ば強引に国岡鐵造が率いる国岡商店に押し付ける。最初は諦めかけた国岡商店だったが社員一丸となって結果を出したことでGHQから認められ、晴れて石油の販売業社指定を受けることができた。
 しかし順調に見えた国岡商店の経営は戦時中からの因縁の相手である世界的大手・石油メジャーに取引先の販売経路を断たれたことで次第に悪化していく。苦しい経済状況の中で会社がもってあと半年となった時、鐵造はどんな行動を取るのか?

登場人物

国岡鐡造 

 国岡商店の店主であり本作の主人公。「士魂商才」を念頭に経営を貫く。冷徹なように見えながらも店員を家族のように愛する熱い男。

国岡ユキ 

 鐵造の。昼夜問わず仕事に忙しい鐵造を身近に支える。店員からも大人気。

東雲忠司 

 国岡商店の初期からのメンバー。気弱で頼りない面もありながら仲間思いで鐡造を近くから支える。

長谷部喜雄 

 国岡商店の店員。いつも笑顔で元気がよく鐵造や東雲から可愛がられている。国岡商店のムードメーカー的存在。

武知甲太郎 

 陸軍中野学校の元教官。戦後はGHQの翻訳業務を行なっていたが鐡造の人柄や国岡商店の社風に惚れ、国岡商店に入社する。


木田章太郎

 鐵造への出資者。鉄造を金銭面からも精神面からも支える。彼の考え方やマインドセットは晩年まで徹造に受け継がれる。


鳥川卓巳

 石油配給統制会社の社長であり「日邦石油」の取締役。鐡造のライバルとして国岡商店の前に立ちはだかる。


ダニエル・ミラー

 GHQ代表。石油の輸入を再開しようとする日本に対して国内の石油を使い果たしてからという条件を突きつける。

「海賊とよばれた男」を徹底考察

物語の構成

 この映画は戦後の徹造が会社の経営に奮発する姿を描きながら随所に登場する回想シーンの中で過去が明かされていくという仕組みになっている。大まかな流れは以下である。

STEP
世界大戦終盤の日本〜終戦直後まで

 終戦間際、エネルギー不足が深刻な日本から始まる。終戦を迎えると国岡商店の店主である鐡造は社員を誰1人クビにしないことを宣言するも予算も手立てもなく実情は厳しかった。

STEP
鐡造の知られざる過去(1912年鐡造27歳〜)

 鐡造が国岡商店の店主になり妻であるユキと出会うまでが描かれる。

STEP
鐡造視点の現在(1945年鐡造60歳)

 日本に石油を輸入することができず、石油を取り扱えないながらどのように鐡造が国岡商店の立て直しを図っていったのかが描かれる。

STEP
鐡造の知られざる過去(1917年鐡造32歳〜1941年12月〜1945年春)

 石油大手であるメジャー(欧米系の石油資本会社)との因縁、石統(戦中から日本の石油業界に影響力を持っていた組織)との背景や関係性が明かされる。

STEP
鐡造視点の現在(1947年鐡造62歳〜1981年鐡造96歳)

 晴れて石油販売指定業者に仲間入りをしたものの因縁であるメジャーに石油確保ルートを断たれ経営が悪化。持って後半年の経済状況の中で徹造はどう対処していくのか。

 初見だと時間軸が交錯するため話を追うのが難しいが上記の構成を理解しておくと分かりやすいだろう。ここでは上記をもとに実際の時代背景や国岡商店の軌跡、登場人物の行動の裏にある心理を徹底考察していく。

終戦直後

 映画冒頭、アメリカ軍が本土爆撃に来るも旧日本軍は燃料が足りず2機しか戦闘機を向かわせることができない。その後すぐに終戦後の様子が描かれており、戦中から引き続き戦後も深刻な燃料不足に悩まされたであろうことが示唆されている。また国岡商店が石油を扱う会社であることがわかり、エネルギー不足の中で鐡造はどのように石油会社を運営していくのかが疑問として浮かび上がる。

 先行きが見えない状況の中、社員をクビにしないことを宣言した鐡造であった。発言の意図について幹部らに弁解するシーンでは二枚の白黒写真が意味深げに映し出される。二名にまつわる話はこの後段々明かされていく。

 

鐡造の過去(1912年〜)

 鐡造は石統(太平洋戦争の時にできた石油取扱組織)に頭を下げ石油を分けてもらうよう懇願するも戦時中にあった”いざこざ”が原因で取引は失敗してしまう。家に帰り部屋に1人、悔しそうに机を叩く。

 ここから鐡造の過去が回想シーンとして明かされていく。

 主人公・鐵造は欧米の船や自動車が石油で動いていることを知り、早くから石油の有効性に目をつけるも石炭が主流であった当時の日本では反応が良くなかった。また当時は灯油が主流だったこともあり鐵造が安く仕入れて売ろうとしていた軽油は安全性すら怪しまれてしまう。

 「士魂商才(侍の心構えを持って商売をする)」をモットーに仕事に打ち込む鐡造であったがなかなかうまくいかず、木田章太郎(鐡造への出資者)に「仕事がなかったら作ったらよろしい。それでもどうしてもやっていかれへんなったらその時はもう2人で乞食にでもなろうか」と背中を押される。この言葉はのちの鐡造の経営方針となる。またこの男こそが二枚の写真のうちの一枚である。

 貸したお金を(鐡造に)あげたお金だと言い切る章太郎の気前の良さ、2人で乞食になってでも鐡造の面倒を見るという覚悟は駆け出しの鐡造にとってどれほど支えになっただろうか。

 その後鐡造は軽油が実際に使えるものであることを確認すると海上での販売に打って出た。灯油よりも安く、海上で量り売りされる画期的な商法は次第に客を呼んだ。国岡商店の船の数は1隻、2隻と増え大きさは1回り2回りと大きくなり、門司港を越えて下関の海にまで売りに出るようになった。そして彼らはいつしか「海賊」と呼ばれるようになった。

 この時期に鐡造はユキという妻と出会う。回想シーンはここで区切りがつく。

 実際に日本では1910年ごろから電灯が普及し始め、それまで石油ランプ用に使われていた灯油の需要が減り、発動機付き漁船の使用の増加によって軽油の使用が増大した。軽油の重要性を見抜いていた鐡造は先見の明があったと言えるだろう。

鐡造視点(1945年)

 戦後、全国に店舗を持っていた国岡商店はGHQにより全国的なラジオ修理の拠点となるように頼まれる。しかし彼らにはラジオのノウハウも新たな社員を受け入れる余地も支払うための給料も無い。しかし鐡造は「今は石油の仕事はない。GHQお墨付きの仕事をできるのは光栄だ」と仕事を引き受ける。

 戦後、戦争によって使い物にならなくなったラジオが多数存在した。GHQによる民主化政策のためにラジオの需要は増大したものの物資の不足が相待ってラジオは配給制となり、多くの企業がラジオ産業に流入した。


 また時を同じくして日本は石油の輸入解禁のために動き出していた。しかしGHQにより旧海軍のタンク底に残っているわずかな石油を消費しないと石油を輸入できないように言われてしまう。だがこの作業は旧海軍がサジを投げるほどの重労働であった。

 戦後、旧日本軍が残していた廃油がタンク底に残っていた。しかしこれらはポンプを使って汲み出すには少なすぎるため人力での作業が必要であった。また作業自体もガス中毒爆発の危険があり一般の労働者では難しかった。出光の社員は一丸となってこの作業に取り組み、旧海軍タンクから20000klの廃油を汲み上げ、GHQからも高く評価された。


やがてその仕事は国岡商店のところへとやってくる。店員がやりたがっていないこと、石統にいいように押し付けられていること、タンク底の石油をなくすのが日本の国力を削ぐためだということを知りながらも、鐡造は店員に作業をするように命じる。

 これは鐡造がGHQに気に入られたかったからだとか、お金がもらえるからということが理由ではない。人足(重いものを運ぶ労働者)さえも逃げ出してしまうような過酷な仕事だからこそ、国岡商店の社員が一丸となって仕事をしなければ日本に石油を永遠に輸入できず、日本の経済発展が永遠にこないことを悟ったのだ。鐵造にとって見れば一時的に日本の国力が削がれることは大した問題ではなかった。その根拠として冒頭で鐵造は社員に向けてこう言い放つ。

日本人がおる限り、この国は再び立ち上がる。


 そんな国岡商店の働きぶりに感化され、武知甲太郎というGHQの翻訳を勤めていた男が入社を希望する。実はこの男、陸軍中野学校の出身でかなりの切れ者だった。


陸軍中野学校

諜報活動や防諜活動などの情報戦で活躍する兵士育成を目的として作られた陸軍の学校。東京帝国大学や拓殖大学、早稲田大学、慶應大学といった名門一般大学出身者がほとんどを占めており、軍事学、外国語、武術、細菌学、薬物学、法医学など多くの科目を学ぶエリート学校であった。


 武知は石統が国岡商店を石油販売指定会社に入れないように画策していることを察知するとすぐさま鐡造に伝え、GHQに報告する。その後、ダニエルは国岡商店を目の敵にした石油取扱業者選定案の原稿を石統につき返した。

 このシーン、実はダニエルは武知に勧められたというだけで原稿を突き返したのではない。彼自身、国岡商店に思うところがあったのだ。ダニエルは自分に呼び出しをくらい顔色を伺いながらへこへこする石統の重役を「腐った役人どもめ」と揶揄する一方で国岡商店の重役、店員が一丸となってタンク底の石油を回収している姿を「美しいものを見た」と表現する。支配国のトップに国力を削がれる仕事を命じられ、その仕事を全うすることは愛国心の強い鐡造にしてみれば悔しさ苛立ちもあっただろう。それでも日本の未来のために誰もやりたがらない作業を社員と全うする鐡造の姿にダニエルは「目的達成のためにプライドさえも捨て去る強さ」「部下と同じ目線に立って仕事を行う鐵造の懐の広さ」を見出しただろう。その後、国岡商店は晴れて石油取扱業者の許可をもらう。
 

鐡造の過去(1917年鐡造32歳〜1941年12月〜1945年春)

 石油の輸入自由化が始まり多くの販売会社は大手メジャーと提携していく。しかし鐡造はこう考えた――「それで日本経済が本当に独立したと言えるのか?」と。ここから国岡商店とメジャーとの過去が明かされる。

 時は1917年、舞台は満州。当時の満鉄は国策会社であったもののメジャーの石油を使用していた。そこで鐡造はメジャーから車軸油の提供元の地位を奪取すべく車軸油の改良に取り組む。
 満鉄が使用していた車軸油はマイナス20度になると凍ってしまうという欠点があり、車軸の摩擦で火事が発生する危険性があった。鐡造はそこにチャンスを見出し、国岡商店を挙げて昼夜を問わず改良に没頭。ついに、寒さに強い油の開発に成功する。

 その後、徹造の予感は的中し車軸の焼きつきによる火災が発生。満鉄によりメジャーらを含め車軸油の試験が開催された。見事試験を通過した国岡商店だったが、満鉄はメジャーを怒らせたくないという理由でメジャーの車軸油を採用する。怒りに燃えながら家に帰るもそこにユキの姿はなかった。
 残された手紙には常に仕事に追われ、自分の相手をしてくれない鐡造への寂しさが綴られていた。

 だがこの展開には一つの伏線があった。結婚前、鐡造は出資者の木田章太郎にユキとの結婚について相談していた。木田はこう語っていた。


 夫の苦労を一緒に背負うてくれるような嫁はんがきたらそら本物の家宝もんや。けどそれだけではあかん。夫の方も嫁さんの苦労を一緒に背負う覚悟やないと


 鐡造は子どもができないことを自分のせいだと思って落ち込むユキを励まし、「満州の商談が終わったら旅行でも行こう」と気遣う場面もあった。
 しかし同時に仕事の忙しさを言い訳にして彼女と向き合わない場面もあった。常に待たされる妻。新興企業の取締役の妻としてのプレッシャー。不妊への焦り。
 鐡造は、男として、夫として、彼女の孤独と真正面から向き合う覚悟が足りなかったのかもしれない。


 その後の詳細は明かされていないが、国岡商店は大陸に販路を広げ発展したという。そして太平洋戦争が始まった。

 陸軍は南方に進出するための石油の配給業務を石統に任せる予定だった。しかし参考として国岡商店にも話を聞くと石統の10分の1の人数で、また4分の1の期間で作業できると話す。さらに原案を見た鐡造は見抜く。
 「石統の幹部が大量に南方に送られてる。戦後、奴らがそのまま石油を独占するつもりだ」と。こうして南方の業務は国岡商店が担当することとなり、国岡商店と石統との対立は決定的になった。

 時が経ち1945年の春。多くの困難を乗り越え国岡商店が陸軍の中でも存在感を得てきた頃、長谷部の乗った飛行機が敵機の襲来を受け撃ち落とされてしまう。血塗られた白いワイシャツ姿は死装束のようであった。鐡造が長谷部の訃報を聞くシーンで回想は終わる。

鐡造視点の現在

 

 無事石油販売指定業者となることができた国岡商店であった。その矢先、パシフィック(メジャー石油会社)から提携の話が持ちかけられる。しかしこの取引はパシフィックが国岡商店の株を半分保有し、役員を半分送り込むことが条件の「買収」に近いものだった。

 当然鐡造は断った。「石油は国の血液だ。その全てを外部メジャーに抑えられるのは絶対に避けねばならん思うちょる。」と。交渉は決裂した。

 メジャーを敵に回すこととなったこの選択は敵対していた石統の鳥川にもバカにされる。しかし同時に、同じ日本人として外国のメジャーにやられるのを見ていられないのも鳥川であった。


国岡さん。あなた昔、海賊と言われてたんだってなあ。


 去り際に鳥川はポツリとつぶやく。作中でこの発言の意図は明らかにされていないが、これは鳥川のライバル・鐡造に対する「海に出て、直接取引をしたらどうか?」というアドバイスのようにも感じる。

 数年後、鐡造は日章丸を建立する。メジャーに頼らずに世界を舞台にして石油を買い付けようとしたのだ。しかしパシフィックらの逆恨みもあり、国岡商店の取引先がどんどん閉鎖されていってしまう。その結果、ついには国岡商店がもってあと半年の経営状況となってしまう。

 鐡造は長年続けてきた店をたたむこと、店員を他の受け入れ先に送ることも考えた。それでも最終的に鐡造の出した答えは「日章丸をイランのアバダンに向かわせる」というものだった。しかしこれは乗組員も危険に晒すこととなる危険な賭けであった。ここで当時のイランの情勢も踏まえておきたい。


 元来からイランは世界でも名の知れた産油国の一つであった。そのためソ連やイギリス、アメリカなどから石油の利権が狙われており、イラン国内でもそうした動きに対し「石油利権譲渡禁止法」やAIOC(アングロ・ペルシャ石油会社)のイラン人労働者によるデモなどが行われた。
 イランが独立し石油の国有化運動が激しくなるとかつてイギリスが建設した国内の石油施設を接収するようになる。これに対しイギリスはイラン周辺の海域に海軍を派遣し、イランと取引に来たタンカーを拿捕するなどの措置をとった。そのためイラン近くの海域に石油を取引に行くのはかなり危険な状況であった。


  社員はこの選択に驚き、東雲は猛反対。こんなのは博打であり真っ当な起業家のすることではない、と鐡造を非難する。
 しかし鐡造は「博打やと。。これを博打言うならこの会社はずっと博打を打ち続けてきた。」と促す。

 ここで大切なのは、この博打には鐡造なりの勝機があったというところだ。
 鐡造はイギリスがイランの石油を独占していることをアメリカが良く思っていないことを見抜いた上で、アメリカの監視下であればイギリスは日章丸に手出しできないと踏んだ。結果的にこの一言が店員の心を動かし、日章丸はアバダンへ向かうこととなる。

 最後の博打を決行したものの最後まで心配していたのもまた鐡造だった。その根拠として日章丸を見送りにいく車の中で徹造は戦火に巻き込まれて散っていった長谷部のことを考えるシーンがある。
 
また「もし万が一日章丸が戻ってこんかったら、、おいも生きていようとは思わん。」鐡造は東雲にそう呟く。

 入念に立てた計画が功を奏し無事にイランに着くことができた日章丸。イランには日章丸の乗組員をヒーローかのように待ち焦がれた国民が大勢待っていた。大歓声の中、石油を積み込むと日章丸は日本へと帰投した。
 しかし日章丸がイランに来たことが知れ渡る帰路こそ細心の注意を払う必要がある。順調に進む中、日章丸の前方に英国海軍のフリーゲイト艦が立ちはだかる。日章丸がイランに入国したことを聞きつけたのだ。
 
 目の前にまで迫ってきたフリーゲイト艦に向けて艦長の森田辰郎は「日本とイランは互いに独立国でありこの二国間の貿易にイギリスが口を挟むのは全くの筋違いである」と電報を打つ。
 それでも二艇がついにぶつかると思われた瞬間、フリーゲイト艦は日章丸を避けた。そしてその後、追ってくることはなかった。

 難所を乗り越えて日章丸が日本に戻るとニュースを聞きつけたマスコミと聴衆が大歓声と共に待っていた。乗組員を労う鐡造。また無事帰還したニュースをラジオで聞き安堵する鳥川だった。

 このシーンは店員らの「店主の戦争がようやっと終わったのかもしれんな。。」というセリフが印象的だ。戦前から続く社運を賭けたメジャーらとの戦い。影響力も資源も乏しいながら徹造は弱い面を店員に見せない。その冷静さが時には非情にも映り、日章丸をアバダンへ送ると言った際に非難されたり、石油の組み上げを続行する際も不満を持たれてしまう。
 しかし出資者である木田章太郎の教えを晩年まで心に刻み、長谷部の死に一番心を痛め、社長という立場でありながら石油の組み上げという汚れ仕事も厭わない鐡造は本当は誰よりも優しい社長だろう。社員を不安にさせないように強気に振る舞い切れることは彼のメンタルと優しさがあってこそだと思うのだ。

 ー1981年ー

 時が経ち車椅子に乗って公園にいるシーン。鐵造はここでユキが大叔母だったと語る女性に声をかけられる。また女性は一冊のアルバムを手渡す。それはユキが国岡商店を出て行った後も国岡商店の記事を丁寧にスクラップしたものだった。女性によればユキは「愛想をつかして出て行ったのではなく、身を引いた」のだという。生涯独身であったようだ。

 ここで興味深いのは鐡造がユキの居場所などは一切知らなかったものの(実際は晩年群馬の老人ホームにいた)ユキは鐡造に子供ができた時に自分のことのように喜ぶなど鐡造の身辺状況を知っていたことだ。家族という形式的なつながりは無くなっても離れたところから鐡造を思い続け、また自分から身を引いた以上は決して会いにいくことはなかったユキは徹造のことを本当に大切に思っていたのだろう。また鐡造もユキとは別の妻子がいたが死に際に夢を見るシーンではユキのことを思い出す。離れていたもののお互いのことを忘れることはなくお互いに思い続けた彼らは新興企業の「社長」と「嫁ぎに来た女性」という関係性に翻弄された被害者でもあった。どうか来世では幸せな家庭を築いてほしい。

まとめ

 今回は時代背景を押さえながら「海賊とよばれた男」のあらすじを徹底考察した。冷静ながらも社員思いな鐡造、弱気な一面がありながらも社長について行き続けた東雲ら幹部、常に予想を超えてくる国岡商店にみる目を変え始める鳥川など各キャラクターの個性を十分に強調した見応えのある映画であった。また実際の時代背景や歴史を反映したリアリティも相待って感情移入のしやすい映画だったと言える。まだ見てない方は男気あふれる鐵造の名シーンをぜひ見てみてほしい。

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